赤とんぼに自分を重ねてみた。
子供の頃は秋に現れる多様な虫として、そしてここ数年は「近いうちに必ず息絶える存在」として赤とんぼを見てきました。
地域差なのでしょう。今の僕の仕事場付近には普通な存在です。
子孫を残すのが彼らの役割だとすれば、今の彼らの行動と存在は何のため?・・・
と。
簡単に言えば、「役目を終えたならすぐに姿を消すべきでは?」という疑問です。
僕の息子は13歳になり、たぶん生物学的には大人として扱ってよいのだろうと思います。
人間としてはまだまだですが・・・
・・・それはともかく、僕は生物としての役割を終えたのだろうな、と思っています。
ニンゲンの社会的には・・・何か役に立つかもしれないけれど、まあ、居なくても特に問題はないはず。
だから、ちょっと力の置き加減を変えて、リラックスしてみようかと思っています。
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コメント
子供の頃、家の周囲には田んぼがあって、稲刈りの済んだ田んぼでアカトンボを捕まえて遊んだものです。
たくさんいたアカトンボも秋が深まると段々と見掛けなくなり、子供心にも命が喪われることの寂しさを感じたものです。
投稿: Blue Wing Olive | 2016年9月13日 (火) 08時08分
Blue Wing Olive さん、
秋が深まる=厳しい冬が訪れることの象徴として、赤とんぼの姿が我々にインプットされているような気が、僕にはしています。
投稿: noriori | 2016年9月16日 (金) 20時22分