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2013年4月17日 (水)

あるときは、水滴の向こう側のような現実と向き合うべきかな?

確かにある現実なのに、何かを挟むと向こう側がよく見えないということは、よくあるものです。

Photoそれは例えば、こういうものかな。

この枝の向こうは庭の残雪です。

Photo_2中央から少し左の水滴を拡大してみると・・・、何かが見えたような見えないような・・・。

まあ、僕の現実も最近はこんな感じ。

水滴の向こう側を見ようとせず、向こう側へ行ってみればよい、というだけのことなのですけれど。

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