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2013年2月 6日 (水)

花。

ほんの小さな入り口の違い。社会人になってからの道の選択が影響して、今の僕は庭に花を植えたりしているのだと思っています。

もし、その時の選択が別であったなら・・・庭など必要はなく「アスファルトで埋めてしまった方がまし」もしくはマンション暮らしを選んでいたことでしょう。

・・・それくらい、庭を維持するのにはエネルギーが必要なのだと実感しています。

20113数年前に近所の売家を見に行ったら、敷地すべてがアスファルトで覆われていて驚きました。家以外のぜんぶが駐車場、という感じ。

雑草取りや庭いじりなど、したくない所有者だったのでしょうね。

それは理解できるのですが、家に入るとまだ新しいのにフローリングの床が腐りかけ、壁にいくつもの穴が開いていました。

・・・ストレスの多い暮らしだったのかな・・・と思いながら、その家を手放した家族のことをイメージしていました。

今の僕は、たとえ花が美しく咲き乱れるような庭を維持する余裕がないとしても、雑草の生えた小さなスペースを眺めながらでも、(今のように家がボロで寒くても)できれば地面のある暮らしをしたいと思っています。

Photoそれは選択のひとつにすぎないし、それ以上に大切なことはあるので、「できれば」という範囲のことです。

植物が咲かせる「花」は、ある人にとってはそのもの以上の意味を持つ存在であり、そうでない人にとっては意味がなくゴミと同じ。

抽象的な意味では暮らしに「花」は必要で、それは、人によって海外旅行だったりアイドルだったりゲームだったり、恋愛だったりするのでしょう。

一方では家族や恋人のように「植物の花」を愛する人があり、これが愛好者と呼ばれます。

僕は・・・そんな愛好者ではなく、自然との接点を好んでいるタイプなのでしょう。

自分はどこから来てどこへ行くのか?植物や虫など気になる存在はどこから来てどこへ行こうとしているのか?なぜ自分はそれが気になるのか?・・・などと、意識の下で知ろうとしているのかもしれません。

それを「探究心」と呼べば恰好よいのかもしれませんが、現実には無様な自分に気付くばかりです。

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