北海道にいて、北海道を思い出した(知床の想い出)
学生時代の夏休み、友人たちと二年続けて北海道旅行しました(私は帰省を兼ねて)。出身地が関西・関東・東北の友人たちは、北海道を「近い外国」のように感じていたようです。学生ですから当然、貧乏旅行。1回目は車一台、二回目は車一台とバイク一台。予算はいくらだったか・・・北海道へ上陸してからひとり1.5万円(約1週間)ほどと記憶しています。
あれは二回目。知床横断道路を斜里側から登って、五湖の方へ入ろうとしたところで先頭のバイクが私たちの車へ振り返ったまま前の車へ追突。乗っていたA君は鎖骨を骨折して救急車の世話になりました。
そのまま斜里町へ戻って病院で応急処置。医師は「君たちも泊まる所がないのだろう?」と気遣ってくれ、骨折のA君と同じ病室に、私を含めた3名を泊めてくれました。
夜になって、地元のバイク屋さんと軽トラックに乗って壊れたバイクの回収へ。真っ暗な道路をキタキツネの青い眼が右から左から、絶え間なく横切っていたのを覚えています。
そして翌日、皆で札幌の実家へ一旦戻り、さらに翌日、A君を山形空港行きの飛行機に乗せて強制送還・・・山形で本格的な治療です。その夜、ススキノのラーメン横丁で残った友人たちとテレビを見て、日航ジャンボ機の墜落事故を知りました。
夏休みはまだまだ続きますから、しばらくして仙台へ戻ってからは度々A君のアパートへ。真夏に鎖骨骨折のギプスは蒸れて辛いらしく、物差しをギプスの中へ入れて背中を掻いてやりました。
お世話になった病院やバイク屋には礼状も出さず、不義理でした。あの出来事からもう23年、A君とはいまでも年に1~2度、連絡を取り合っています。
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